今回の記事の内容は、
☆男の40代厄年には、自分か自分の家族に大きな病気や災厄が起こることがある。
☆男の老いじたくとは、厄年を乗り切るための冬や台風への備えのようなものである。
となっております。
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目次
男の老いじたくとは、40代の厄年を乗り切るカネと、
しなやかで強い肉体を造ること
男性の方だけでなく、女性、パートナーの方にも是非読んでいただきたい“男の老いじたく”とは40代にやってくる男性の厄年に向け備えの準備をしておくことです。数え年で41歳(前厄)42歳(本厄)43歳(後厄)となります。
※数え年とは、今の年齢+1歳のことです。生まれた時の0歳を1歳として数えます。
厄年は男性の場合3回やって来るのですが、42歳の厄年を大厄と呼び生涯で最も困難な時期が来る可能性があります。実際に、ノイローゼや失業・リストラ、大怪我、DV、犯罪行為を犯したり、犯罪に巻き込まれたり、といったことが現実に起こり、そして事実として大厄に困難を体験した方が大勢いるということです。少し驚いたり怖さを感じてしまうかも知れませんが、人はこの世に誕生し肉体を持っている以上は怪我をする可能性もあり、また少しずつ年齢を重ねていくという摂理からは逃れることはできません。
いざ、大厄が訪れ何かしらの困難に見舞われた時のために少しでも備えておくことが“男の老いじたく”であり、その方法は厄年の時期を乗り切るため、お金を貯め、しなやかで柔軟性に富んだ強い肉体を造ることというのが私が学んだ知恵であります。
“男の老いじたく”を知るきっかけは実績のある企業の代表者からの学び
ある私の元クライアントの偉い企業代表者の方とお話ししていた時のことです。
「男は40代厄年で必ず自分か家族(身内)に大きな病気等が起こる。それを乗り越える準備を前もってしておかなきゃいかん。それが何か分かるか?現金だ。お金だよ」
というようなお話を聞かせていただきました。その方は企業規模で言いますと中小企業に分類されますが、長らく利益を出し続けていて、大きな不況下であっても赤字にすることなく乗り越え、某有名な景況企業リサーチから「何故、それほど順調に利益が出せるのか驚いています」と言われる程の経営手腕で企業を取り仕切ってきた実績のあるお金持ちです。
当時の私は内心「そもそも明日何が起こるか分からないのに、常にお金が欲しいというのは当然じゃないか。厄年をオカルトと決めつけるわけじゃないが、中年に差し掛かった時に用心しろという教訓めいたことでしょう?」と思っていました。
しかし、時が経ち身内や知り合いの年上の方が実際に困難に見舞われる様子を見た時に、知識が実感へと変わっていきました。
毎日同じ道を歩けば同じ確率で何かしらの事故や怪我に合うはず、同じ職場に通えば、同じような日常を過ごせば普段と変わらないはずが、なぜかこのたった三年程度の中で、もっと言えば大厄付近で大きな大きな出来事が起こっていました。
例えば、ある人は職場で課せられたノルマに耐えられず追い詰められた極度の精神状態によって職場に行けなくなり休職することに。状態はほぼ、うつ状態と思われました。さらに、休職だけであれば家族4人が普段と変わらず生きていければ救いはあったかもしれませんが、病んだ過酷な精神状態の中、どうしようも無い辛さと悲しみのエネルギーは家庭内への暴力という形で具現化してゆき、出口の無い状況へと追い込まれていった。別の方は、突然の病気によっての手術、財布を落とした、犯罪を犯してしまった、犯罪に巻き込まれてしまったといった想定外の事案を見聞きしました。
記事を書くにあたってインターネット検索もしましたが、大厄に一家離散し全財産を失い生きる希望を失った方、大厄と大殺界が重なり二度の手術をした方、本人に何もなくとも身内や知人から厄介ごとを次々に持ち込まれてしまった方など、数多くのエピソードが存在していました。
大厄とは人間という生物を真正面から捉えた
大きな周期の統計学という先人の知恵ではないか
干支が12年周期であり、年は12ヶ月に分けられ繰り返される周期であり、時間も24時間・60分・60秒に分類されることに大きな意味があると感じています。例えばこの中で24時間という概念は、ヒトや植物がほぼ24時間サイクルリズムの体内時計を持っていること(諸説あり)とも繋がりがありがあるのではないか、こういったことはあらゆる物事にも起きることだと思います。私の場合は約10年周期で人生のリズムを感じる部分が多いのですが、もっと大きな意味で長年の統計にもとづきある種の規則性から導き出された最も困難な時期が大厄であるように思います。
だからこそ、平安時代から存在すると云われる厄年が男女で違い、食文化や医療進歩によって平均寿命も変わってきた現代でも同じ習慣が行われている。人間という生物自体を真正面から見て、観察し、その傾向と事象を追っていった末に完成されていった観察学のようなものではないのか、というのが私の現時点での結論です。
それが遺伝子レベルで個体差があれど普遍的のものなのか、易学の見地で論拠は現されないまま極少数の天才によって偶発的に発見されただけなのかは分かりません。
厄年は単なるオカルトでは無いという考えの理由
たまにこういった先人の知恵を超常現象的に捉えて「そんな非科学的で宗教めいた話を信じる人間は馬鹿」という方もいます。もちろん、何かしら人間への不安につけこみ言葉たくみに人を騙そうとする者がいるでしょう。「寄付しないと不幸になる」「厄年にお祓いしないと災厄が必ず来る」といったことですね。
まず自我を持って現実を直視し、詐欺やマルチめいた話、宗教勧誘の口実、といったものに対処することは生きてる上で当然ですし、まっとうな感性だと全力で支持した上で私の考えを述べます。
非科学的な事を全否定することは最も非科学的であると考えます
例えば、お笑い芸人になる人間は愚か者でお笑いを見ているような人間は大成しないと言われていましたが、人を笑わせることができる芸人は本質的に頭がいい、笑うことで幸せなホルモンが分泌されるので見た方が良い、以前にあった高額納税者番付で芸人が名を連ね、憧れの職業ランキングでランクインし、といった風に評価が移り変わったこと。「お笑い芸人など見世物小屋と同じ社会の底辺」という固定概念から人生の選択肢のひとつになりました。500年前に人間が空を飛ぶことが想像できたでしょうか、現在は鉄の大きな構造物が空を飛び回り人や物を運んでいます。海底にも大きな鉄の塊が泳げる技術が確立されましたね。
地球の裏側にいる人とリアルタイムで、しかも映像付きで話せるようになった超能力テレパシーめいたことも当然の技術で使われるようになり、地殻変動並みの超サイキックな地形変化である人工島もドバイ等いたるところで出来ています。いつか親しい人間に何かあった時に感じる“虫の知らせ”も人間の神経が電気的信号によって伝達されることが分かった以上、解明される日が来るかも知れません。つまり、後に解明された技術や理論であれば納得できるということ。解明されてない事象のほうが多いくらい謎が多い世界であること。私が“非科学的な事を全否定することは最も非科学的”という論拠はそこにあります。(ちなみに、某ネコ型願い事叶えまくりロボットが発明されて自分のところだけに来てくれないかなって切に願っております。)
厄年というものの捉え方。私は身近な例で“台風”と考える
私が厄年をどう捉えているかと言いますと、台風が近しいです。
毎年同じ周期で来る、被害や影響の出る出ないがある、台風の大きさによって対策や影響の結果が変わる、といったもろもろの性質が厄年と似ていると感じます。
台風の大きさ進路(社会や自分を取り巻く環境)によって、被害の大きさ(厄年にそもそも被害に遭う遭わないも含めて、困りごとの程度)が同じような時期(人間という生物に付随する大きな意味での周期サイクル)にやって来る。そして頻度や規模は未知数。おそらく台風が発生し、日本へやってくる自然現象が起こる時期だろうということしか分からない。しかも、この時期は予測外からゲリラ雷雨(全く突発的で予見できない病気・事故・災難)も頻発する可能性がある。
「台風やゲリラ雷雨がやって来るなんてオカルトでしょ。そんな自然災害なんて年中どこでも起こってるよ(笑)」という人がいたら、自然災害はどこでも起きるかも知れないけれど夏頃から初秋にかけて台風がやって来る時期的な要素が全くデタラメって言うこの人は本当に大丈夫だろかと心配になると思います。私の感覚はそれに近いものです。
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男の老いじたくを具体的にどうするのか
現状の私の結論としては、お金と強い肉体を用意して備えるということ以外に特にありません。しかし、言葉は簡単でも最も難しいことのひとつが並んでいることは言うまでもないことと思います。誰だって日々健康な肉体と潤沢な資金があればそれ以上何をするのかとなるでしょう。
前述のお金持ちの方は大厄に向けて「現金をなるべく用意しろ、それで自分や近親者に何かあったら現金をうまく使って乗り切れ」という教えを仰っていました。しかし、その方は結構な年齢にもかかわらず大柄で健康的でエネルギッシュで商売の機運を切り開き恵まれていました。ここで重要になってくるのが、強い肉体というものの考え方だと思います。
強い肉体というと筋骨隆々で格闘家やボディービルダーを連想しますが、そうではありません。求められるのは“竹のようにしなやかで柔軟性に富み、かつ筋力にも恵まれた肉体”のようです。大厄という、大きな雨風や時には硬い飛来物が飛んで来る時勢において、竹のように柔軟に衝撃をなるべく吸収し、そのエネルギーをうまく受け流して発散させることで怪我をしにくい粘り強い肉体を造り上げてゆくということです。例えるのであれば野球のイチロー選手のような肉体を目指すことです。柔軟性があることで物事へ対応する場合の初動がスムーズに行え、バネのような強靭で変化に対応できる肉体が素晴らしい結果をもたらすはずです。
※下記を読むのが面倒な方は赤字の部分だけ見ていただければ伝えたい内容は分かっていただけるかと思います。
調べたり、学んだ上で実際に取り組んだ方が良いかと思われるものを書いていきます。まず最も重要なのは柔軟性です。これは必ず腰や首や関節を痛めたりするものであってはいけません。日常的に行えるものが特に良いです、時間や場所を選ばず飛ばし飛ばしであっても頻繁にでき柔軟性を高める体操やストレッチがよりベターです。お風呂あがりなど定期的に行える柔軟も取り入れるべきです。筋肉や関節部位を柔らかくし、さまざまな動作や姿勢に耐えうる柔軟性だけを目指します。曲芸めいたものまで全く必要ありません。適度な筋トレが必要です。体を固定化しすぎるマッスル筋トレは目的と少し違います。それでも適度な筋力は必要です。食事にも気を使います。肉体と精神がつながっていることと同じです。精神という気が病むと肉体にも影響を及ぼし筋力低下や倦怠感につながります。肉体に悪い影響があると精神も徐々に弱っていきます。ここは実体験として痛切に思いあたるので肉体と精神のつながりに深い関連性はあると思います。肉体をつくるものは日々の食生活と習慣です。楽しみを全て無くすのは苦痛です。無理のしすぎは禁物ですが取り組みは重要です。意識です。意識することです。あなたの体を形づけている根本を意識します。水分と食物と空気です。空気は呼吸方法や環境をさします。まずジュースやコーヒーやお酒を少しだけ水に変えてください。水はぬるま湯のような体温に近い方がより良いです。温度の違うものを肉体に取り入れると余計にエネルギーを消費すると思います。ただ、温度の違うものを肉体に取り入れることで良い変化も期待できるかもしれません。寒い時期や強烈なだるさを感じる時は温かいもので体を活性化した方が良いし、暑い時期や疲れオーバーヒートして体温が高い時など適度に冷やす野菜や水分を摂取した方が良いかと思います。そういった時に季節野菜の万能感は自然な偉大な摂理だと考えさせられます。いわゆる旬な食物ほど役立ってくれる物は少ないと思われます。今までのジャンクフードがどうとか細かいことはどうでもいいです。どちらにしろ結果はいずれ出ます。人間の肉体は20歳以降でも脳と心臓以外であれば細胞が一定期間に入れ替わるそうです。(諸説見解あり) ならば今から入れ替えの材料を意識するだけしかやれることは無いです。筋肉は概ね1年で入れ替わりそのうちの60%は1ヶ月程度で入れ替わっているそうです。目標は怪我をしにくい、柔軟で、かつ筋力にある程度めぐまれた肉体を維持することです。
※下記を読むのが面倒な方は赤字の部分だけ見ていただければ伝えたい内容は分かっていただけるかと思います。せっかくの文章を書くチャンスなので、お金について学んだこと思っていることなどを文章にして書いております。様々なご意見あると思いますが、私が現状考え得る内容です。
次にお金です。同じように書いていきます。お金については厄年を耐えうる出来るだけの準備をすることに尽きると思います。現金で置いておくのが一番と言う人が多いです。失わないのであれば堅実な方法であると思います。しかしお金について考える時、お金の入り口を沢山持っている方が有利なこともあるようです。田んぼや畑に水を引き入れるのと同じです。大切な命の源である田んぼに水を引き入れる時、一級河川のような一生安泰に思える水脈があればそれを信じて他のことにエネルギーを割かない人もいます。それで安心安全で無難に過ごせれば良い事だと思います。例えば社会保障の手厚い優良上場企業や公務員として務めること、資産・財産を使ってさらに富を生み出す投資や賃貸業等です。でも大きな河川であっても使えなくなることもあります。河川そのものの流れが変わってしまう、環境汚染で農作物に使えなくなる、上流の方で他の人間が流れを変えて自分のところに一滴も流れて来なくなる。先の例でいえば、倒産・リストラや社会制度の変更等によって状況が激変することです。ですので引水箇所をいくつも持てるように水脈を発掘し自分の田畑に引き入れる仕組みを作ります。例えば、副業、アイデアや才能を活かした知的財産、株式証券・為替取引などの投資等のいくつもの側面を持つことです。例えば同じ考えの仲間や協力者をつくり井戸を掘り当てて共有するような仕組みも有効ですし、何かあった時だけ助け合う互助会のような関係性も有益です。あなたを全力でサポートしてくれるファンがいれば心強いです。それが近親者であっても見知らぬ他人でも同じくあなたの人生の助けとなってくれます。誤解や軋轢が生まれないように注意は必要です。本当のファンならばあなたがどのような過酷な状況であっても一助となってくれます。ただし見定める目を持つ必要はあります。このように引水箇所を多数を持つ場合に最も注意しなければいけないのは管理能力です。例えば期限切れの宝くじを持っていても当たった自慢以外に役立たないのと同じことです。利益を生んでも自分に引き入れる状況、つまり田畑をしっかり作毛させることが本質なのです。水をいくら引き入れても作毛できないと無意味です。この作毛はあなたの人生を実りあるものにするという意味です。収穫物を倉庫に入れ台風や冬に備えられるということです。必要であれば売り物にもなります。水をいくら引き入れても他の場所に取られることを繰り返していては自分の田畑は痩せた作物ばかりです。水漏れも同じです。ただし周りの田畑からいらぬ恨みを買うことについては注意を払いたいものです。自分のところに水を引き入れていることをひけらかすような事は避けたいものです。普段からアイデアや親切心や労力をシェアしていれば良好な関係が築けるかもしれません。結局のところ、有利なのはお金を造り出し流通させる大元です。お金をいくら持っていても紙切れになれば価値は低いです。紙切れ以上の価値はなくなります。貨幣の価値は常に変動してることもあるということや、種類も沢山あるということには注意が必要です。また、現金や証券類といったものでなく、宝石や金塊類や高級時計といった貴金属などの現物を動産として用意しておく方も多くおり有効な手段だと思います。いざという時は現金類に替えることはもちろんとして物々交換にも対応できるからです。
男の老いじたくについてのまとめ
冒頭にあるように、大厄を耐えるための健康で強い肉体とお金を事前に用意していくということに尽きるようです。
私自身は老いじたくという言葉に触れた時、本当に全くピンときませんでした。何となく含蓄のようなありがたい系のものなんだろうという程度です。
しかし時を重ね、大厄を過ごし苦労した方をお見受けすることで人ごとでは無く、いずれ私自身も経験する時期なのだと明確に意識するようになりました。
“老い”と聞いて還暦を過ぎお年を召した方を連想していた時期を過ぎ、いろいろな物事を経験するうちに見えてくるものがあると思います。どうか“老い”という言葉についてネガティブな側面を一旦横に置いていただき、「少しずつ時を過ごしてきた生きている証明」と考え、そして男の40代には昔から大厄というものがあり、30代にあった肉体的精神的なエネルギーや健康は生き物の摂理として衰えてゆき、様々な大きなサイクルの中で要因が重なり困難に見舞われやすい時期があるということを少しでも知っていただければ幸いです。
50代、60代を超えて健康元気で働いている方もたくさんいらっしゃいます。数十年先のことを悲観的に考えて欲しいというわけでもありません。大きな台風が来るかもしれないという時に雨戸を閉めたり一応の食料や懐中電灯を揃え普段とまた違った心構えで過ごしましょうということです。全く何の備えも無しに突然の災害に見舞われる場合と、来るかもしれないと分かっているから様々な準備をしていた場合で今後の生活のスタートラインは違ってくるはずです。生きてこそナンボです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。